Doraneko&Donuts

「好きなものに」囲まれながら生きていく!そんな「楽しい」を作り出すブログ

あの時腰痛にならなければ…

今週のお題「私のタラレバ」

マルマン スケッチブック 図案シリーズ A4 画用紙 天のり製本 S252

 

こんちわ、おいさんだよ(*´ω`*)

今週もはてなのお題いってみようかね。

 

今週のお題が「私のタラレバ」ということなんだけど、わしはあまり過去にはこだわらない方である。

 

こぼしたミルクは元に戻らない。

後悔後に立たず。

 

大体においてわしは先を見通す計画性に乏しく、行動する時は必ず直感に従って生きているから、もちろん今まで多くの失敗をしたし、たぶんこれからもしていくだろう。

だが、そんなわしもやはり過ぎ去ってしまったことを今更後悔しても仕方ないと思いながら生きていても、やはりあの時ああしていればよかったなと思うことは多々ある。

 

そんなあんまり過去を悔やまないわしが、

自分の取り戻したい過去について今回はいくつか語って見たいと思う。

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若い頃、もっと絵の勉強をしておけばよかった

今にして思う。

なぜわしはこんなにも絵が下手なんだろう?と。

 

元々才能のない方であることはわかっていた。それが妙なことに絵を描く仕事で食べていきたいとコツコツと好きなマンガなどを描きとおして、いつのまにやらイラストレーターだかグラフィックデザイナーだかの真似事をするようになっていた。

 

若い頃、30代のわしがこんな風に生きていくことになるなんて夢にも思わなかった。

わしの想像ではもっとお金がもらえていたハズだし、もっと地に足をつけてしっかりと暮らしていたはずだ。

 

それがこの体たらく。

原因はわかっている。それはわし自身にある。

 

そう、あの時、まだ若かった高校時代から大学生までの間に、もっと絵をがむしゃらに描いていたなら、いまではもっと素晴らしい絵を描けるほどの腕前になっていただろう。

あの時怠けていなければ、わしは今よりもっと上を目指せていたかもしれない。

 

しかし、そんなことを後悔してもしょうがない。

だが何よりもわしが絵の勉強ができなかったのは単に怠け者だったからではない。ある事件がきっかけで、わしは絵を描きたくても描けない時代があったのだ。

 

腱鞘炎と腰痛に悩まされて

それは高校時代に遡る。

この話は以前もこのブログで書いたが、わしの高校3年次の社会科の教師はヤクザなクソ教師で、それまで公民を教えていた社会科教師が産休にはいるのをきっかけにやってきた代理教師である。

その男はあろうことか高3のわしらに教科書の裏に載っている日本国憲法をノートが真っ黒くなるまで書かせた。

何枚も、何枚も。

 

おかげで昼は学校で真面目にノートを取っていたガリ勉のわしは、夜は家でマンガを描いていたのであっという間に腱鞘炎になり、思うように絵を描くことができなくなった。

 

これが第一の理由。

 

そして第二の理由はちょうど10年前、大学を辞め、仕事もなくプラプラしていたわしはオカンに頼まれて宮崎に行くことになった。

末期がんの祖父とアルツハイマーを患って思うように動けなくなった祖母を祖父が死ぬまで介護するためにやってきたのだ。

 

その時の辛さもこのブログで書いたが、祖父の家は宮崎のど田舎。

TVもない、エアコンもない、インターネットもない辺境の地で年老いた祖母と半ば末期がんの痛みを和らげるために極力な麻酔で頭がおかしくなった祖父を、昼間1人で診ていなくてはいけないわしは、その想像を絶する過酷さに思わず発狂しそうになった。

 

このままではストレスでおかしくなる。

そう思ったわしはそのストレスを体を動かすことによってなんとか発散させようとランニングと筋トレに励むことにした。

 

そして筋トレをしている時に久しぶりにブリッジをしたことによって、わしは大事な腰を痛めてしまったのだ。

以後、わしは8年間この腰痛に悩まされることになる。

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今では長年の研究の末に腰痛と腱鞘炎はなんとかもうほぼ完治を迎えているが、それでもこの時の失った時間は大きい。

 

あの時、わしが宮崎に行かなければ!

そしてあの時ブリッジさえしなければ、腰痛にはならなかったのに!!

 

そして腰痛にならなければ今頃思う存分絵を描いて、

売れっ子のイラストレーターなり、漫画家なり、アニメーターなりになれたかもしれないのに!!

 

いやわかっている!

こんなことはわしの希望的観測にしかすぎない! 

あくまでわしの思い描く勝手なもう一つの未来像だ!

 

だがふりかえってみても、

やはりあの時の宮崎行きがわしの人生を狂わせたようにしか思えない!

 

あの過酷な地獄の介護生活がもう10年も前になろうとしているというのに、

わしは今でもあの時のことをちょっと後悔している。

ああ……(;´∀`)