成人式にシングルモルトを 辛い思い出に「長いお別れ」
今週のお題「20歳」
こんちわ、ブレードライガーにそっくりなドラねこです(*´∇`*)
みんな成人式の思い出って覚えてる?
今週のはてなのお題が「20歳」ということで、わしの若き日の思い出について語ってみようかな
あんまり楽しくなかった成人式
今思い出すと、出るんじゃなかったという感じだ。
わしも成人式の日は、地元に帰って成人式に出た。
懐かしい学校の先生にも会ったし、友達とも再会した。
それはそれでよかった。
でも問題はその後の打ち上げ、二次会だった。
飲んで騒いでいる席で気づいたことがある。
それはわしってあんまり実は友達少なかったんだなって。
わしはその場であんまり周りの人間と打ち解けることはなかった。
なんとも言えぬ空白感。
自分とこの場にいる人間たちとの空気の違い。
そんなものをひしひしと感じていた。
わしの学校は小さな田舎町ということもあって、小中と9年間同じ人間たちが一クラスに在籍するという学校で過ごした。
そうなると見慣れた30人の顔はもうクラスメイトというより兄弟のようなものだった。
だが人一倍自我と独立思考が強いわしにとって、そうした空気は重苦しいものだった。
高校に入ってそうした同調圧力から開放され、不器用ながらにもやっと自分の力で友だちを作った後、成人の日に地元に帰ってきて昔の旧友たちと飲んだ時には、一つの違和感を感じずにはいられなかった。
それは多分、本当はあの頃も感じてたのだと思う。
しかし20という節目を迎えた時にハッキリと悟った。
それは友達だと思っていた当時の仲間達が、実はそんなに友達ではなかったということを。
いや正確にはそんなに絆が深くなかったということに。
幻の9年間
中学を卒業したときは、そこで過ごした学友たちにそれなりのシンパシーを感じてはいた。
だが高校も大学もバラバラになって久しぶりに集まったその飲み会の席では、もうそいつらのことはどうでもよくなっていたことに気がついた。
冷淡な男のように聞こえるかもしれないが、実際にはそいつらがわしを必要としてなかったというだろう。
それはつまり、
当時のわしという人間がつまらない人間だったからだということだ。
自分では不器用なりにも一生懸命友情を育んできたつもりでも、9年間一緒にすごしてきた学友たちに自分の心は通い合ってはいなかったという事実を再認識したにすぎない。
それを感じた時、言いようのない寂しさと
「来るんじゃなかった…」という後悔とが同時に押し寄せてきて、なんともいたたまれない自分がそこにいた。
かつては友と読んだ連中が、もう自分に興味もなく誰も話しかけてこない事実に、わしは少し傷ついた。
帰りの途中、かつて親友と読んでいた男が街中でチンピラに絡まれ勢いでケンカをしそうになったのを止めた時、更に言いようもない哀しさに包まれた。
そいつはクラスで一番アタマの良い人間で、県内でも一番の大学に通うはずだった。
だが、彼はもうすでに精神を病んでいて、その時はただ酒毒に犯されていた。
そんな親友も今はいない。自ら命を絶ったからだ。
思い出に「長いお別れ」
今思い返してみても、
あの頃青春と呼んでいた学生時代とはなんだったのだろう?
家の近所に学校が一つしかないという理由で、9年間心も通じ合わなかった人間たちと学校に通った日々は、わしにとってなんだったのだろう?
明らかにただの消耗で、
そこに楽しい思い出なんかほとんどなかった。
それを証明したのが、成人式の後の飲み会だった。
そして誰にも助けを求めることもなくひっそりと死んでいった、親友の死である。
もし、
わしらの間に真の友情なるものが存在していたら、あいつは死なずにすんだはずだ。
いや、そもそも「親友」などと思っていたのは自分だけで、あいつはそんなことを少しも思っていなかったのではないか。
そんなことを思い返すと、今でもあの頃の自分を取り巻いていた偽りの友情ごっこを演じていた旧友たちと、何もしてやれなかった自分に腹が立つ。
そんなわしも今年30に到達する。
20歳から10年経って得たわしの人生の教訓は、
「友達はなくても生きていける」ということだ。
冷蔵庫の中から、
最近味を覚えたシングルモルトを出してグラスに注ぎ、一口飲んだ。
これは、自分の中の怒りの火なのだ。