欲しいものは夢と引き換えに……
今週のお題特別編「子供の頃に欲しかったもの」
〈春のブログキャンペーン 第3週〉
ちわ、わしです。
今日は暖かいから春をエンジョイできたかね?
今週もはてなのお題いきます
「子供の頃に欲しかったもの」 いろいろあるけど、
まぁ昔のことを思い出して書いてみるかw
夢がたくさんあった子供時代
子供のころ、欲しいものはいくらでもあった。
ガンプラにスーファミのソフト、ミニ四駆にカードダス。
いま思い返したら、当たり前だけどそのほとんどがおもちゃだった。
うちは別にお金持ちの家ではなかったから、
おもちゃを買ってもらえるのは誕生日とクリスマスの時くらい。
誰でもそうだと思うけど、当時近所のおもちゃ売り場に一歩足を踏み込んだらそこは魔法の売り場だった。
棚に山と積まれたガンプラの箱。
ミニ四駆のコースに集まって自分たちのマシンを走らせる子どもたちとそれを改造するパーツキット。
ガラスケースに並んだスーファミやゲームボーイのカセット。*1ワクワク
わくわくしながらおなじみのフロアを手早くまわり、
売り場のあちらこちらの陳列台にディスプレイされているおもちゃは、どれもわしら子供の憧れだった。
一体どれにしようか?年に数回のお楽しみ。
変なものを買ってがっかりしたくはない。ここは慎重に売り場を見渡して欲しいものを探そう。
家にスーファミやゲームボーイがきてからは、その憧れの対象がほとんどゲームソフトになったけど、それ以前は例えばガンケシとかビーダマンとかキャラコバッチとか(みんな知ってるか?)そういったおもちゃを集めていた。
……家の近所でビーダマンで一人さびしく遊んでいたのは俺くらいだったっけ(;´Д`)
そんな夢がいっぱいつまった憧れのおもちゃ売り場はもうない。
昔はそうした子どもたちが集まるおもちゃ屋やプラモ屋がたくさんあったのに今ではめっきり見かけなくなった。
一体いまの子どもたちはどこでおもちゃを買っているのだろう?
それとももう今はゲームっていったらスマホで済ませてしまっているのかな?
夢がなくなった……?
大人になってから、当たり前だけどもうそういった昔欲しかったものをもう一度買いたいとは思えなかった。
あの時、あのおもちゃたちがあれば、一生暮らしていけたような気がしたのに……ナゼだろう?
今ではなぜアレほどまでにおもちゃが欲しかったのか不思議な程である。
つまりはわしも大人になったのだ。
そんなわしも今ではあの頃のわくわくしたおもちゃ屋のような場所と言ったら専ら電気屋に場所を変えた。
あそこはいつ行ってもまったく飽きない。ある意味大人のおもちゃ屋(変な意味ではないw)と言ってよいだろう。
いま欲しいものといえば、4KのTVとかスピーカーとか新しいスマホとかそっちの値段のはる家電製品に興味が向いている。
でもここでふと思う。
いま、そんなに欲しいものがあったとしても、10年後20年後にはその手に入れたものたちへの興味を失ってしまっているのではないか…と。
そう考えるとなにかを手に入れるために必死にお金を貯めることに疑問をいだいてしまう。
もちろんお金はあればあるほどよいのだけど、
あったとしても意外と使い道がなかったりするのではないだろうか?
事実、アレほど喉から手が出るほど欲しかったドラム式洗濯機を去年の夏手に入れたのに、今ではわしは興味を失くしてしまっている。
これはどういうことだろう?
アレほど本当に欲しくて、去年一年の悲願と言ってもよかった20万もする洗濯機だったのに。
今では当たり前になっているドラム式で洗濯する風景にわしは慣れて閉まっている。
はてな?(;´∀`)
昔はもっとなにかを手に入れた時はそれなりにうれしかったのに、
今ではもうそのような快感は薄れてしまっている。
夢が、なくなったのだろうか?
いや、夢が変わったのだ。そう自分に言い聞かせる。
しかし本当はそうではなくて、わしがなにかを手に入れたいと思う物欲を失くしているのだとしたら、これは素直に喜んでいいものだろうか?
別にミニマリストを気取っているわけじゃないけど、
確かにいまのわしらの身の回りには欲しいものがなくなった。
全てが手に入る世の中になってしまったわしらの世界は、
全てがいらなくなった世界かもしれない。
そんなことを、手元のiPadをいじりながら思った。
*1:o(´∀`)o