Doraneko&Donuts

「好きなものに」囲まれながら生きていく!そんな「楽しい」を作り出すブログ

ミニマリストは清貧の生活をどこまで実現できるのか?

トピック「ミニマリスト」について

minimalism 〜30歳からはじめるミニマル・ライフ

 

ちわ、おいさんです。(*´∀`*)

雨が急に降り出してきて寒くて風邪を引きそうです。

 

今回は書くこともないので、

ミニマリストについて語ってみたいと思いますw

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ミニマリストって要するに貧乏人のこと?

最近巷ではミニマリストというモノが流行っているらしい。

 

ミニマリスト……わしは最初、新しいミニトマト新種かしら?

くらいにしか思っていなかったけど、要するにムダなものを持たずにシンプルに生きましょう。ってことらしい(違ったらごめんちゃい(;´∀`)

 

なるほど、ミニトマトって要するに節約上手っていうことか!(ちがう?)

いらないものをどんどん捨てて、自分に必要なものだけに囲まれた暮らしをしようという、高度経済成長期の価値観真逆に行く考えとのことである。(たぶん)

 

確かにミニマリストというものになれば色々良い点もあることだろう。

アベノミクスで景気の雲行きが怪しくなってきた今後、お金を節約できるし、余分なモノを買わなくていいから家の中もとても片付くだろう。

そしてなによりエコじゃん。

世界中の人(特にアメリカと中国)がモノを大量消費しなくなったら、地球環境にも良い影響をおよぼすんだろう。

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ミニマリストを先取りしていたわし

それではわしはどうだろう?

 

わしは東京で一人暮らししている時から節約に節約をしてきた。

親の金で大学に行かせてもらっている身でありながら、周りの友達はみんな遊んでいたのに余分な金を使わずに質素倹約を心がけて貧乏生活をしていた。

 

あまりに質素倹約を重んじすぎて、それはもう節約というより、

ド貧乏生活に近かったことを覚えている。

 

あのころは本当に辛かった。

交際費や娯楽を我慢し、服にもお金は賭けられず年にTシャツを2、3枚買うのが精一杯。メシは薄いカレーを作って2週間食べ続けたりしたものだ。

今はネットで出来る仕事があるけど、あのころはそうしたものもなかったから、リーマンショック以降はバイトもなくなってしまって唯一の頼りは実家からのしおくりだけだった。

 

そんなわしは気づくと月2万円でギリギリ生活をしていた。

いつもギリギリで暮らし、そうした生活はいつしかわしの精神を苦しめていった。

 

そんなわしは好きでこんな生活をしていたわけではない。

必要に駆られて、せざるを得なかったからやったまでである。

 

今ではその時の経験が役にたっていて、

ギリギリの生活を経験していない高校時代に比べてだいぶ物欲が減った。

おかげで今では余分な物は買わないし、

何かモノを買う時はネットなどを使って一円でも安いところを探し、余計な買い食いや嗜好品も減り、かなり細かなところまで食糧費を抑えられるようになった。

 

そうか!あの頃のわしは、

好むと好まざるとに関わらずミニマリストだったのか!

でもそうした生活はいつしか副作用を引き起こす。

 

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過剰なミニマリストは神経をすり減らす

ただ、あの頃をふりかえって思うのは、

過剰なミニマリストは神経をすり減らすということだ。

それは身にしみて知った。

 

余分なモノを捨てるという断捨離の精神はいい。

あまり物欲に捕われずにモノを買わないというのもいい。

 

学生時代お金が無かったあの頃、

わしは身の回りの全てのものをどうすればもっと安く、お金をかけずに住むか日々考えて暮らしていた。

しかしそうした生活は、来る日も来る日も節約のことばかり考え、頭の中はお金のことばかり、そんな毎日は正直、精神的にかなりきつかった。

 

かなりギリギリのところまで我慢して暮らしていたけど、

いつしかそうした生活がイヤになってきて、

とうとうその生活そのものが非常なストレスになっていったのだ。

 

それは、お金をかけずにシンプルに生きるどころか、

余計な心配事にいつも付きまとわれる日々でもあった。

 

ミニマリストという言葉はつまり、

「余分なモノを捨てて、よりシンプルに生きていこう」

というものだとわしなりに解釈している。

 

つまり昔の武士が持っていたような清貧の思想である。

思想的には何も新しくない。モノを持たなければ持たないほどいい。

低く見せれば見せるほどかっこいい。

日本人にはそうした思想が殊の外、性にあっているようだ。

 

わしもそうした部類である。

お金なんか無くたって別にどうってことはない。

ないならないなりにどうにかして生きていける。

武士も食わねど高楊枝。それは確かに立派なことだ。

しかし、清貧な生活をするには、

それ支えるための精神的な高い理想が必要である。

現代語訳 武士道 (ちくま新書)

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武士道のような「清貧の思想」はミニマリストに見られるか?

昔の武士たちは町人よりよっぽどヒドイ生活をしていた。

そうした彼らを支えたのは、武士としていざという時、命を惜しまずに働くためであった。

 

命を惜しむな、名こそ惜しめ。

 

そうした彼らには物に囲まれた生活は、

命をかけて戦う時に邪魔以外の何物でもなかったのだ。

だから生活水準が最低の最低でも、なんとか暮らしていくことができた。

武士の誇りを、魂を物欲にまみれて失うことを恐れたのだ。

 

清貧の思想。

それはそれで良いことである。

しかし本当にそれを目指すなら、かなり精神的に高い理想なり、

目標なりを持たなければやっていくことは不可能だ。

 

豊かさを知っている現代人に、

そうした武士道のような高い目標無しで、

どこまでミニマリストなるものを続けていけるか甚だ疑問である。

たかが節約のためにモノを捨て、お金をかけずに暮らしていこうというのでは、豊かさを知っている人間は絶対にどこかで精神的に追い詰められ破綻するだろう。

 

しかも、そうした人はきっと景気が良くなったら手のひらを返したようにまた物欲に溺れる生活をするんだろうなぁ(;´∀`)

そういった意味では、今のミニマリストという言葉の流行は一見かっこ良く聞こえるけど、それだけ生活的に明日をもしれぬ人たちが、苦しい生活を送っているということの裏返しなのかもしれない。

 

そういったものにならないくらいの、

それなりのシンプルな生活を目指すほうが懸命なのだけど、

そうしたものの線引が難しいんだなぁ