自らの力で切り開き、生きていく術はテストでは養えない
今週のお題「テスト」
思い起こせば勉強をしたことがない。
元から頭が良かったからか、それともただダラしないだけかわしはあまり勉強というものをしたことはなかった。
それでもなんとかこの年まで生きている。これはありがたいことだ。
そう考えると中学、高校、大学と受けた「テスト」とはなんだったのか、今更ながら疑問に思う。
そこで今回ははてなのお題「テスト」について語ってみよう。
テスト勉強せんでも
中学時代は成績は散々だった。
今思い返すと不思議だが、当時のわしは本当に勉強をしなかった。
それは反抗期のせいか、わしの頭が悪かったからなのかはわからないが、どれだテストの点が悪くても平気の平左。全くもって勉強する気にはならなかった。
それなのにわしの学年はかなりの勉強クラスでクラスの女子はみんな真剣にテストの点を気にしてしのぎを削っていた。
そんな様子をわしは冷ややかに見つめていたのだが、アレはなんだったんだろう?
その後、ロクに勉強をしなかったわしは推薦入試で農業高校に受かった。
ここでもテストはなし。まったく受験勉強はしていない。
高校にバカが多すぎて
高校に入ると人生の中で一番勉強した。
というのもわしの学校はけっこう素行の悪い生徒がいっぱいいて、バカがたくさんいたからだ。
自分では勉強をしなかったので中学時代、かなりバカの部類にいると思っていたのだが、下には下がいたw
わしよりもびっくりするほど頭の悪い連中がたくさんいる。
こいつらはなんだろう?
なんでこんなにも簡単なテストで10教科も赤点が取れるのだろう?
そう、簡単なテストである。
わしの学校は農業高校ということもあって試験の際に出される問題は簡単なテストであった。それはもうこっちが驚くほどw
なにせ、中学一年で習うような問題が高校一年のテストでわんさと出てくる。
それを普通にスラスラ問いていたら、いつの間にか学力上位のクラスにいた。
こんな…こんな簡単な問題に応えるだけで上位になれるなんて……(;´Д`)
イカン、わしはこの学校でただダラダラしていたらバカになる。
本気で危機感を抱いた。
この時、わしは変わった。
誰かに勉強せい!と言われるとそっぽを向く性格のわしも、現実に通っている学校にバカが多すぎるとこのままこの学校のぬるま湯に浸かっているとどうしようもないバカになってしまうというリアルな感覚に襲われたのだw
それからというもの、わしは必死で勉強するようになった。
授業の予習・復習。授業中の挙手や質問。そうしたものを頻繁に率先してするようになった。
中学の頃のわしに比べるとそれはもうびっくりするような変わりようだが、本音で言えばわしは怖かったのだ。本物のバカになることに(;´Д`)
それ以来、わしの高校での成績はメキメキと上がった。
その頃にはすっかりわしは自他共認めるガリ勉になってしまった。
勉強すればするほど成績が上がるのだから、勉強するのが面白くて仕方ない。
今まで生きてきた中でこんな快感を味わったことなどなかったもんだから、わしは遮二無二勉強したのだ。
おかげで高校の成績は学年2位を2年間キープするまでになった。
中学では下から数えて4番めくらいだったわしが、高校では全学年の上から2番目に頭の良い人間になってしまった。
これにはわし自身が驚いた。努力すれば人間って変われるんだw
そんなことを実感した3年間だった。
転落人生始まる……が。
しかしそんな絶頂期も大学に入ると脆くも崩れ去る。
大学にも推薦で入ったわしには基礎学力が元々なく、すぐに馬脚を現して成績不振でわずか一年半で除籍処分になってしまった。
ああ…これが所詮、俄仕込みのガリ勉の末路。
負け犬はカサノヴァやネロにはなれない。
それからというもの、世間の荒波に揉まれて、派遣切りやブラック企業に就職したりと色んな目にあいながら紆余曲折を経て今わしはデザイナーをして生計を立てている。
この仕事の良いところは試験もテストも資格もいらないところだ。
わし自身、デザインの勉強は専門学校に通ったわけではないのですべて独学で覚えてしまった。
それなのにわしはこうしてしっかりデザインで食べていけている。
仕事自体は多くはないが、しっかりある程度の量はこなしている。
そう考えると、わしの人生において勉強とはなんだったんだろう?
なんのためにテストを受け続けていたのだろう?
確かに中学までは真剣に勉強はしてこなかったのだが、それでも特に困ること無く今を生きている。
わし自身、学びたいことはほとんど図書館の本で学んだところがある。
日本にはありがたいことに学ぼうと思えばタダで学べる機会がたくさんある。
そうやって自らの頭で考え、生きていく術をなんとかこの30年間で学んで来たつもりだ。
わしは今、世間からみればまったく幸せな人間に見えないだろうが、それまでの人生を振り返るとけっこう幸せだったのではないだろうか?
テストでは人の幸せは測れない。
それが、この30年間の人生で学んだ、一つの「答え」である。